記憶と記録が重なる居間で。

石田きなり

2022年5月4日。わたしたちは松本家のBBQにお邪魔した。

BBQの途中、日も落ちてきて寒くなってきたので、わたしは「好きに使っていいよ」といわれた家屋の中に入った。 お手洗いを借りに奥まで進むと、がらんどうの部屋や、通ってないことがすぐ分かる水道が目に入る。普段はここには誰も住んでいないことを改めて感じてお腹のあたりがひゅっと冷たくなる。

居間の引き戸に少し力を入れて開けると、トシヤさんのおかあさんがこたつでテレビを見ていた。見覚えのない景色のはずなのに安心するのはなぜだろう。この居間には人が生活している感じがあった。こたつに入るとおかあさんが話しかけてくれた。

十数年間のおかあさんの記憶。

震災のときの話。知り合いがいまも見つかっていない話。嫁いできたばかりのころ、お義母さんがとってきてくれた山菜を名前も分からず料理した話。 これらの記憶も、震災があって、原子力発電所で事故があって、福島に人がいなくなって、もう過去のものになった。

「やっぱり人生変わるね。」

ぽつりとおかあさんが言った。

過去にあった辛いことを乗り越えようとすることは、辛かったことを過去の記憶にしてしまう、ということなのかもしれない。でも、そんな簡単には割り切れなくてその記憶にとどまりたい気持ちもあるのだろう。 過去のものにしてしまいたい気持ちと、消えゆくものにとどまっていたい気持ち。中途半端に、「分かります」とも言えなくてわたしは何も返すことができなかった。

震災後に、前とおなじように生えている山菜たちは、前と同じように料理して食べる、なんてことはできない。 前と何が違うんだろう。山菜の中には目には見えない物質があってそれを測って食べられない、食べられるかを決めるなんてなんだか不思議な話のように思えた。 だって、前と同じように山菜は生えているのに。時間がたってしまったこと以外、この居間の景色はなにも変わらないのに。

そんなことを考えていると、引き戸がガラッと開いて、トシヤさんのお兄さんが顔を出した。お兄さんは「うちの母さんよくしゃべるでしょ。」と笑いながら言った。そこでわたしは初めてこの家に「お邪魔している」ことに気づく。それまでは不思議なことに、懐かしい場所に帰ってきたような感覚になっていた。

もう元に戻ることはない、おかあさんの十数年間の記憶。

そして、わたしが松本家で感じた懐かしさの記録。

網戸一枚、隔たれている外からはBBQの賑やかな声が聞こえるけれど、記憶と記録が重なった居間の中には違う時間が流れていた。

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